《マインドフルネス》

集中力 創造力 ストレス対処力  

幸福感が高まる!  

 

現代科学(脳科学)研究結果に裏付けされた真実 

カルフォルニア大学のゴールデン博士 

ハーバード大学のサラ・ラザー博士らの研究

マインドフルネスの驚異的データ数が証明する。 

 

マインドフルネスとは?

今に集中することは、道元禅師の 

日本最古の座禅入門書「普観座禅儀」 

この言葉「念起即覚 覚之即失」 

「気づくこと」の重要性!

 

禅の奥義と最先端科学が結びついた・・・。 

2600年前の仏陀が唱えた真理! 

マインドフルネス技法、今に集中すること。

各クラブで実施します。

ヨーガや氣功、太極拳もマインドフルネスです。 

分ける必要いはありません。  

 

マインドフルネスの技術がヨーガや氣功、太極拳 のレベルを飛躍的に高めます。      

 

 

《マインドフルネスとは? 》

マインド=心 

フルネス=気づき  

 

マインドフルネスのルーツである禅は、修行を通じて仏陀が到達した悟りの境地に近づくことです。  

マインドフルネスは「瞑想」のことではなく、「ただ目の前のことに集中する状態」のことをいいます。 

  

ですから悟ることではなく、毎日の暮らしの中にある一つ一つの作業を丁寧に行い、その瞬間を大切にすること、その積み重ねがその人の豊かで幸せな「人生」を形成していきます。 

それを目標にしています。 

  

1.マインドフルネスのメカニズム 

 《脳科学見地による》 

私たちの行動は脳のSN(セイリエンス・ネットワーク)を通じて入ってきた情報に合わせて、脳の下記の部分と結合して活動しエネルギーが消費されます。 

  

心ここにあらずの状態をマインドワンダリングと、言います。 

脳のDMN(デフォルトモード・ネットワーク)が活性している状態です。 

それは過剰なエネルギーが消費され、様々な病気や疲労を誘発します。 

  

集中状態のことをマインドフルネスといいます。 

 

脳のCEN(セントラルエクゼクティブ・ネットワーク)が活性され、集中力や創造性の向上、心の健康増大のメリットがあります。 

DMNは、前頭葉の比較的浅いところに位置しています。   

CENは、前頭葉の比較的深いところに位置しています。 

SNは、DMNとCENのちょうど中間に位置しています。 

  

2.マインドフルネスの効果  

a.CENを担う脳の部分が活性化する。 

b.SNを担う脳の部分が活性化する。 

c.CENSNの結合が高まる。 

d.DMNを担う脳の部位の活動が低下する。 

e.海馬(記憶と感情を司る部位)が大きくなる。 

f.偏桃体(不安や恐怖に反応する部位)が小さくなる。 

g.右脳が活性化する。 

  

上記脳の変化(脳の可塑性)により以下のことが結論付けられます。 

 

1.集中状態はCENが活性化することで、処理能力アップ、仕事が早くなります。 

2.SNは、外からの刺激に対して、脳内のどのネットワークを使って対処するか指示をする司令官。ココが優秀になると、不測    の事態に適切に対応できるようになります。 

3.DMNは、脳のエネルギーを大量に消費します。DMNの活動が下がることにより脳が疲れにくくなります。 

4.海馬は短期的な記憶を司っています。ココが増大することにより、記憶力がよくなります。 

5.不安や恐怖を感じる偏桃体が小さくなることにより、トラブルにも落ち着いて対応できるようになり、ストレス耐性が高まります。  

6.右脳部分が活性化することにより、人への気配りや優しさがUPします。 

 

《実践方法とその奥義》 

マインドフルネス呼吸瞑想技法 

1.FA(フォーカス・アテンション)・・・一つのことに意識を向けて集中する状態。 

2.OM(オープン・モニタリング)・・・一つにことに集中しながら、周りの事も見えている状態。 

  

*テーラワーダ仏教(上座部仏教)では、FAのことをサマタ瞑想OMのことをヴィパッサナー瞑想と呼びます。 

FA=サマタ瞑想(一点に集中すること) 

OM=ヴィパッサナー瞑想(自分自身をあるがまま観察すること) 

*FA(サマタ瞑想)のトレーニングを続けると、ある時から、OM(ヴィパッサナー瞑想)も出来るようになります。 

  

*五感 眼耳鼻舌身(げんにーびぜっしん)の五感が鋭くなり、現実に対する解象度と鮮明度が、あがる。マインドフルネスではこのことを、アウェアネス(気づいている状態)といいます。アウェアネスが高まると、人は周囲の状況をすべてありのままに認識できるようになります。 

  

人間のパフォーマンスを向上させるポテンシャルアップはフロー状態(マインドフルネスの訓練で獲得できる)の時に達成される。所謂「火事場の馬鹿力」ですね。 

仏教ではそれを「無我の境地」と表現し、道元は「心身脱落」と云う言葉で表現しています。 

  

マインドフルネスでスキルUPすることで自由に獲得できる人間本来の能力です。 

太極拳も氣功、ヨーガも同じです。 

 

《奥 義》 

人間の外界からの受容機関は、 

眼耳鼻舌身(意)五感+意識です。 

  

般若(智慧)にみる仏教的見解 

(現実世界)(色を見る)(見た結果想う)(反応)(定着、執着) 

このことを、般若心経では五蘊といいます。 

  

色…現実世界、法 

受…あるがままを観る 

想…心に想う←サティ(気づきの言語化・ラべイング技術)をココで入れる。 

行…反応、行動 

識…心の創作活動、知識として定着 

  

色受想行識…一刹那(0.01秒)これは天台止観瞑想の奥義でもある。 

刹那消滅・生起の連続、サティを入れると、色受で止まりの反応まで進まない。 

よってまで至ることはない。 

サティ=気づき技術(ラベリング)=言葉の確認今現在を客観的に自分の行動に気がついていく。 

この「サティ」のことを、仏陀の八正道の一つ「正念」といいます。 

  

《苦の消滅》 

苦は過去か未来のことに執着することにより発生する。 

人間は、普段の生活において客観的に今現在を観る術を知らない。 

  

瞑想者(マインドフルネス)は日常的にサティ(ラベリング)を知らず知らずに習慣化できる。 

そのことにより、今現在に意識があり、その場で解決する為、過去未来に意識が行くことはない。 

  

よって、妄想が入る余地なし、苦が発生する余地はない。 

  

《災難の回避》 

FA(一点集中瞑想・サマタ瞑想)により集中力が高まり、一般の人間よりもOM(アウェアネス・ヴィパッサナー瞑想)が向上しているので、周りの異変に気が付きやすい。このことは、私がクラブで常日頃から「御嶽山の悲劇、命を落とさない分類の人間に入る」ことを強調している通りです。太極拳、氣功、ヨーガにマインドフルネスが加われば、その確率は著しく高くなります。 

  

《禅とマインドフルネスの違い》 

苦の消滅、災害の回避、フローのコントロールにより、もはや一般の人間ではなくなります。 

イチロー、ビルゲイツ、スチィーブ・ジョブス、松下幸之助・・・仏陀の知恵(般若)を取り入れていました。 

そこに至るには、マインドフルネスが有効です。 

  

何故なら、禅の世界では20年~30年と修行を重ねても獲得し得ない解脱・悟りに至ることを目標にしていますが、マインドフルネスは宗教色を抜くことにより、科学的見地から完成された合理的な科学手法で解脱・悟りまで至らなくとも、よりよい幸せな人生を獲得できます。 

  

繰り返しますが、 

マインドフルネスの目的は解脱・悟りではなく、よりよく生きること、よりよく幸せになることを目指しています。 

それは、求めるモノではなく、来るものです。ですからエゴの発生する余地はありません。 

  

悟りたい・・・とか、解脱したい・・・とか、求めるものではないのです。 

ココに、禅とマインドフルネスの違いがあります。 

  

《メモ》 

私が以下のことを気づくのに3年半掛かりましたが、このメモを読めば、3年半が、わずか10分少々でわかります。 

 

1.ブッダが発見したこと 

身体…微粒子と空間の流れ 

微粒子は絶えず生まれては消える 

身体は常に変化する(無常) 

現代科学の証明…この世は波動の流れ 

 

…(受)意識…アンテナ 

    (想)知覚…認識、良し悪しの判断 

    (業)感覚…快、不快の感覚が生じる 

       (識)反応…行動 

*原因と結果の法則が連なって起こる 

 
例)川の流れ、ロウソクの炎…連続した流れ…人間も同じ 

不変なものは世にない。ただ現象のみが起こる 

心は全身の細胞にあり! 

苦しみ=自己責任(執着)固定✕ 

常に変化、流れ→反応(好き嫌い)で執着する…無意識で繰り返される 

好き嫌いは感覚で発生 

感覚は接触で起こる→五感と心 

 
ヴィパッサナー瞑想で反応を止める 

 
八正道が前提…苦を止める方法 

《仏陀の八正道とは?》

【八正道】 

1.正見…正しく見る 

2.正思…正しく考える 

3.正語…正しく話す 

4.正業…正しく行動する 

5.正命…正しく生活する 

6.正精進…正しく努力する 

7.正念…正しく意識する 

8.正定…正しく心を整える 

  

シーラ =正語、正業、正命 

サマディ=正念、正定、正精進

パンニャ=正見、正思 

  

※サマディ(三昧)=サマタ瞑想(呼吸一点集中) 

※パンニャ(般若)=ヴィパッサナー瞑想(気づき)

(仏陀の瞑想と云われるマインドフルネスです。)

※シーラ=道徳的規範ですが、サマディ+パンニャでレベルは自然と上がります。

 

1.シーラ…正語、正業、正命 

*道徳的なこと、心の乱れを回避する 

 

少林寺拳法の言葉 

「己こそ己のよるべ、己をおきて誰によるべぞ、よく整えし己こそ誠得がたきよるべなり。自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが清し、清きも清からざるも自らのことなり、他のものによりて清むることを得ず」…これブッタの言葉です。知ってました? 

 

2.サマディ(三昧)…正精進、正念、正定 

*精神集中(サマタ瞑想…呼吸瞑想)心を落ち着かせる 

3.パンニャー(般若)…正思、正見 

*心と身体を観る。洞察力UP(ヴィパッサナー瞑想)…無常を理解、感覚に意識を向け無知と執着から自由になる。 

心の浄化 

 

2.アーナ・パーナ・サティ 

吸って吐いて…呼吸に気づく瞑想…心が落着く 

心の中に渇望や嫌悪がある…好き嫌いの判断をする限り苦しみは生まれ続ける。 

呼吸に集中する事により、彷徨う心を浄化する。 

 
【呼吸瞑想の基本】…サマディの訓練 

1.背筋が真っ直ぐに伸びていること 

2.後頭部が前に傾いていないこと 

3.肩に力が入らないで脱力して下に落ちていること 

今ここに集中する 

心は渇望や嫌悪に振り回される 

心を一つの焦点を合わせ固定する 

精神集中すれば、些細な事に気づける 

鼻に入る息、出ていく息に全神経を集中する 

呼吸をコントロールしてはダメ 

自然呼吸に意識を置く 

雑念が出たら呼吸に戻る 

雑念が出るのは心の癖 

過去を悔やんだり、未来を心配したりせずに今ここに集中する 

呼吸に集中する事により、雑念を減らす訓練をする 

色々な反応(サンカーラ)を無意識にしてしまう心の反応を減らす 

無意識の機能を感じる 

心は呼吸に反応する 

毎日根気よく続ける 

雑念が湧いても素早く呼吸に意識を戻せるようになる 

呼吸に気づきながら生活する 

微かな呼吸に気づきながら心の浄化を目指す 

 

3.ヴィパッサナー瞑想 

呼吸瞑想はヴィパッサナー瞑想の為にある 

智慧の訓練(パンニャーの訓練) 

苦を原因から取り除く 

 
【ヴィパッサナー瞑想のやり方】 

洞察力の育成…自分の内なる現実を見つめる…自分の感覚を客観的に観ていく(自己観察) 

身体の感覚は心と強く結びついている…心の状態がそのまま身体の感覚となって現れる。 
身体の感覚=心の感覚 

自然な身体の感覚を淡々と観察する 

感覚の原因は重要ではない。 

意識を合わせたところの感覚に焦点を合わせる 

意識で身体の隅々まで順序よく観ていく 

客観的に観て感じていく 

    ↓ 

  無常を身体で理解する! 

  (絶えず一定ではない) 

感覚が変化する。→世界は無常 

私はプロセスの集合体、絶えず一瞬一瞬変化する→無我 

これらから執着すると苦しむのが分かる 

ヴィパッサナー瞑想で体験する…理屈抜きに理解する。 

ただ観察し反応しない!=解脱 

全ての現象を淡々と観ていく 

痛み、痒み、しびれ→客観的に観察→消える 

無知→反応→苦の発生 

感覚が生じるところで気づきを入れる! 

(サティ=ラベリング) 

好き嫌いの繰り返し→反応が渇望に変化し苦しみが発生する 

執着し不幸になる 

無意識の反応に気づく→むやみに反応しない 

智慧が身につく。感覚は無常で絶えず変化する→真の洞察力 

因果の連鎖を止める。良し悪しの判断はしない。 

苦の原因は心の反応→反応を止める 

悟り→解脱 

 

ブッダの瞑想法 

ヴィパッサナー瞑想…2500年前 

複数のシステムが存在する 

1.サマタ瞑想(呼吸瞑想)…心を一点に集中 

言葉の反復、慈悲の瞑想 

2.ヴィパッサナー瞑想…一瞬の事実を観察 

「見た」「聞こえた」「匂った」…今の気づき(サティ) 

ラベリング=言葉確認 

心から妄想を除外する 

 

ヴィパッサナー…よく観察する。身随観 

歩く 

立つ 

座る 

日常生活 

 

快感不快感 

喜怒哀楽 

全ての出来事に気づく…サティ 

ラベリング…言葉で確認(心の中で) 

 

《歩く瞑想》 

1.「右」「左」とラベリング…現象が先、確認が後 

センセーション=法の確認 

2.「離れた」「着いた」 

3.「離れた」「移動」「着いた」 

4.「離れた」「移動」「接触」「圧」 

 

雑念(「音」「聞いた」) 

※耳から部長が手を叩くのを聞いた 

立ち止まり(ラベリング) 

元に戻る 

 

《座る瞑想》 

背筋が真っ直ぐに、重い頭を楽に支える為 

結跏趺坐、半跏趺坐、達人座、正座 

胡座 

お腹の感覚に集中する 

ラベリング 

1.「膨らみ」「縮み」 

2.数息感「ひとーつ」「ふたーつ」 

 

雑念(歩行瞑想と同じ) 

 

《立つ瞑想》 

足の裏の感覚の変化を観る 

踵に集中 

ラベリング 

1.「圧」「右」「中央」「左」 

 

雑念(歩行瞑想同じ) 

 

《日常生活の瞑想》 

無明…事実と考え事のごっちゃになった混乱状態→煩悩発生 

人生の苦しみをなくすためには、純粋な事実だけを正しく観る訓練が必要 

センセーションの確認…法の確認のサティ 

日常モード→自分は今何をしているかに気づくこと 。

 

ラベリング 

1.「歩いている」「仕事」「料理」 

「化粧」「排便」「運転」 

大雑把で今何をしているのかに気づく 

中心対象は定めない、戻るところはない 

ランダムにサティを入れていく 

絶えずマインドフルネスの状態 

 

《慈悲の瞑想》 

サマタ瞑想の一つ 

1.「生きとし生けるものが幸せでありますように」 

2.「生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように」 

3.「生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように」 

4.「生きとし生けるものに悟りの光が現れますように」 

5. 1の真言を3回繰り返す。 

 

生きとし生けるもの→私、大切な人、嫌いな人等に読み替える 

無差別平等に観る公平さ(ウベッカー)は、心を成長させ最高のサティへと導く。 

慈悲の瞑想はヴィパッサナー瞑想のレベルを上げる 

幸福な優しい波動 

 

《反応しない練習》 

苦しみ=快を求める心(快、不快の二者択一)いちいち求め続けることが無駄な反応…心とは元々そう云うものだと理解 

「満たされていない承認欲がある」 

 

怒りの原因 

*サティ=ラベリング=言葉で客観的に確認する。 

心の状態にラベリングして理解してしまう。 

自分の心が見えないと悩む 

心の乾きの正体が分かれば抜け出せる。 

身体の感覚に意識を集中させる 

心の内な入る前に身体の感覚で止める 

ありのままに観る 

あるものはある 

良し悪しを判断しない 

判断=執着 

判断して自分が苦しくなる→やめたほうがいい。 

誰かが正しいとか間違っているとか判断する資格はない。 

自分が良しと思えばそれで良い。 

正しさは人それぞれ違う。相手にとってソレは正しい。 

 

 

 

《マインドフルネス呼吸瞑想》 

1.万物に呼吸のリズムがある 

(潮の満ち引き、昼夜、季節、植物の光合成)=宇宙のルール、生命のルール 

今ここに意識を集中する 

呼吸は何時も生命と共にある 

鼻の穴、お腹、胸…身体の一部が呼吸と一体になる…一体感を味わう 。

 

a正式なトレーニング…何もしない時間 

15分〜毎日続ける。習慣にする…心穏やか、無意識の反応癖の消滅 

呼吸かそれたら、そらしたものは何か確認してから元に戻る 

そらしたもの…これに気がつくことが重要 

自分の存在に気づく…自尊心の低下防止 

「私はココに居る」事を感じる 

自分を意識する…自分の存在に気づき、何処へ向かっているのか気づく 

不快感に気づく…ただ観察する…嫌だと反応せずにその感覚を客観的に観る 

受入、リラックスする 

呼吸を含め、様々な感覚を受入、集中し観ていく洞察力を高めて良し悪しの判断はしない 

 
bずぼらトレーニング…日常生活において 

細切れ時間を利用する 

呼吸にそれたら、何がそらしたのか淡々と観察し、元に戻る 

洞察力マックス状態で些細なことも見逃さない 

 
2.瞑想で人生が楽しくなる 
ストレス軽減 

集中力UPによるまだな時間削減 

無意識反応の削減→心の無駄減少 

自動操縦の削減→瞬間瞬間への注意力UP 

自分の身体のサインや相手のサインに気がつく洞察力UP 

真の洞察力獲得→新たな世界が見えてくる 

マインドフルネス=ただ存在する訓練 

何もしないことを学ぶ→ありのままの自分を見つめる余裕→メンタルの改善 

パフォーマンスUP! 

例)夕日を見る→カメラで撮る…景色を見ていない。脳で判断→今に集中していない。リアルな体験減少→身体の声が聞き取れない。(無意識状態)鈍感→病気の誘発 

 
《食事瞑想》 
食事でコツを掴む…食事に集中 

食材一つ一つの違いに気づく 

マインドフルネス…自分で評価をしない 

良し悪しを判断しない 

観察者の視点ビギナーズマインド 

呼吸瞑想…違う酸素、違う感覚 

初見の感覚…新たな洞察力、違う世界 

目的を持たない…目的を持つとその場にいない 
ありのままに、ただ存在する 

瞑想それ自体が目的、何もしないこと 

瞑想の目的、人生の目的…今ココに集中 

むやみに努力さてはいけない 
リラックスが重要…何が起きていようと、その起きていることを認識する 
受け入れる 

 

《ボディースキャン瞑想》 

感覚で身体部位を観ていく…左足から 

シャバアーサナが望ましい 

呼吸瞑想で一体感を感じる 

臓器を観ていく…感謝 

パワースポットや経穴を観ていく 

妄想→脳内にエンドルフィンやドーパミンなどの快感ホルモンが出ている状態にしか過ぎない。 

実際に手に入ると…現実は苦しみに変わる 

《例…バイクがほしい》 

バイク雑誌やYouTube動画でバイクを見る…欲しい、欲しい、欲しいと何度も何度も(執着)心に刻み、自分がバイクツーリングをして満足する姿を妄想する。ドーパミンが大量に出て快感ホルモン満杯状態! 

実際に手に入れる→維持費等の大量のお金を散財…肩が凝る…雨の日は乗れない…無理して風邪をひく…事故…苦しみに変わる 

ボディスキャンは、正しい思考や無常、無我を確認することによって、正しく観る目を養う。 

妄想からの脱出…気づきの訓練…強力なサティ 

 

《サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の違い》 

サマタ瞑想は例えると電池のようなものです。電池は内部に電気エネルギーを溜め込んでいます。しかし、それを実際に電池で動く電化製品に入れて使わなければ意味がありません。サマタ瞑想は溜め込んだエネルギーを使うまでには至っていないということです。 

 

対してヴィパッサナー瞑想は放電まで行います。電池を電化製品に入れて使用し、電気エネルギーを使い製品を動かします。ヴィパッサナー瞑想であれば溜め込んだエネルギーを使うことで心の汚れを払うのです。 

 

他にも大きな違いとして、サマタ瞑想が何か対象となる1点に意識を集中するのに対して、ヴィパッサナー瞑想は変化を観ます。 

 

対象は人間の内側のもので、体の変化、感覚、感情、記憶、思考、理解です。それらが今、この瞬間にどのように変化していくかをあるがまま観ます。(無常・無我・涅槃寂静を身を持って体感すること=ブッダと同じ経験をする。言葉として理解するのではなく、身体を持って理解する。) 

 

ヴィパッサナー瞑想は決して外側のものを対象にはしません。なぜなら心の汚れをきれいにする瞑想だからです。サマタ瞑想は集中により心を落ち着かせることはできますが、心の汚れを完全に払うことはできません。ここに大きな違いがあります。 

 
*資格とか肩書とかはどうでもいい事です。 

指導する側は、情熱が大切です。それに裏付けされた知識とテクニックを身に着けてこそ情熱のボルテージは最大最強になります。 

が、しかし今はロウソクの炎を吹き消した時のような涅槃の境地に浸る日々。 

炎を消した後の煙は…周りの空気に溶け込み見えなくなるが…香りが残る。やがて香りも消え失せるが…そこには確かに炎は存在しているたのです。 これが「阿耨多羅三藐三菩提」の境地 です。

 

《空海…般若心経秘鍵》 
《般若心経》の心は真髄では無く、人間の心!空海「般若心経秘鍵」より 

 

仏説摩訶般若波羅蜜多心経 

ブッダが説いた、心を整える大いなる智慧の完成 

般若波羅蜜多…完全なる理解 

 

(1)人法総通分…人と法の関係 

観自在菩薩(般若心経の教えを実践する人)       

(行う)深般若波羅蜜多時(ヴィパッサナー瞑想…自我を滅却する技術)  

照見五蘊皆空(空=無常・無我を明らかにする)       

度一切苦厄(空を体得した結果涅槃の境地)

舎利子  

  

《例・リンゴ》 
色…目で見る「なにかある」気が付く 
受…赤い・まるい 
想…見たことがある 
行…あれかなぁ~ 
識…リンゴだ食べよう 
 
瞑想の経典、サティパッターナ・スッタ(四念処経)では執着の5つの集合体と定義しています。 

この五蘊(ゴウン)が、人間の営みの全てです。これがあるが故に、一個人の人間だと錯覚する。 

それは一瞬で行われる。無意識に行われる・・・これが執着 

天台宗の天台止観では色受想行識…一刹那(0.01秒)とされています。 

  

色…現実世界、法 

受…あるがままを観る 

想…心に想う←サティを入れる 

行…反応、行動 

識…心の創作活動、知識として定着 

  

さて、ここからが本題です。苦を消す方法です。 

刹那消滅・生起の連続中に想でサティ(気づき技術(ラベリング)=言葉の確認…上のリンゴの例では、「見た」) 

を入れて今を意識します。 

  

「見た」…ただそれだけで判断はしません。 
「おいしそう」とか云う判断はしない。 

そしてまた、何事もなかったようにサマタ瞑想に戻ります。 

 
すると・・・行の反応は消え識まで至ることはありません。(あれかなぁ~と考えない) 
ですので、無駄な反応をしなくて済みます。 
 
リンゴを様々な苦の対象に置き換えても同じ現象が起きます。 
サティを入れると・・・執着が起こらない。 

自我を捨て去ることになります。(無我) 

  

ごく短い一刹那だけ心は動揺、サティを入れると…次の瞬間なは終了を意味する。 

瞑想とは、起きたことを起きたこととして、その事実だけを確認する作業。 

これが無執着の心を育てていく 。

サティは思考モードへ移行せず、対象化していく技術 

既有知識(スキーマ)→個人個人の独自の認知システム…この違いが、個人個人の洞察力の違い 

スキーマが働く前にサティを入れる→あるがままに観るとは、そういうこと 。

     

(2)分別諸乗分…仏の様々な教え 

色不異空【建立如来《普賢菩薩》】       

空不異色 (目に見えるものと空は別々ではない)      

色即是空         

空即是色 (現象世界も真実世界も一つに溶け合っている)      

受想行識 (すべては無常)     

亦復如是 舎利子  

     

是諸法空相  【無戯論如来《文殊菩薩】 空の境地  

不生不滅(生と死の区別がない)     

不垢不浄(汚い綺麗の区別がない)      

不増不減(増えもせず減りもしない)     

是故空中無色 【弥勒菩薩】(無常とは常に変化するので固定的なものは無い、故に我々は実際には存在していない。)     

無受想行識   (心の感覚器官は無)  

無眼耳鼻舌身意 (六根)    

無色声香味触法 (六境)    

無眼界乃至無意識(六識)全て無  

(五蘊は無い。一個人が消え失せる、心の反応は人それぞれで同じものでも見方によって違う。) 

無無明     (十二縁起も無)  

亦無無明尽       

乃至無老死      

亦無老死尽    

無苦集滅道  (四諦…苦、四苦八苦 集、苦の原因は執着、渇愛 滅、なくす方法=ヴィパッサナー瞑想 道=八正道)     

無智亦無得  (悟ったと思っても得るものは何も無い)      

以無所得故  (得ることがまた執着になるのだから…。) 

 

(3)行人得益分 (空を悟った人々…一言でいけば余裕のヨッチャン!)        

菩提薩埵依           

般若波羅蜜多故         

心無罣礙         

無罣礙故         

無有恐怖         

遠離一切顛倒夢想     

究竟涅槃 

三世諸仏              

依般若波羅蜜多故得    

阿耨多羅三藐三菩提  (悟りの境地)

   

(4)総帰持明分…全て陀羅尼に帰する 

故知般若波羅蜜多     

是大神呪          

是大明呪         

是無上呪        

是無等等呪        

能除一切苦真実不虚         

故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰  

 

(5)秘密真言分…仏の秘奥真実世界の言葉 

羯諦(声聞乗の修行の結果)羯諦(縁覚乗の修行の結果)波羅羯諦(大乗の教え修行の結果)波羅僧羯諦(真言の修行の結果)菩提薩婆訶(様々な教えの修行の結果)究極的な悟りに入る 
羯諦=苦・・・気づき(僧・サンガ(サティ))菩提薩婆訶・・・羯諦は消え失せる。 

*彼岸へ渡る応援歌 

ガテーガテー パーラーガテー パラサンガテー ボディスバッハー 

 

「心楽しければ、全てうまく行く!」 

 

 

 

マインドフルネスについて、具体的な方法や奥義、空海の般若心経にまで踏み込んで説明しました。

 

クラブでは、親切丁寧に伝授していきます。お待ちしております。